相性と縁の本当の意味:恋愛がうまくいく人・繰り返す人の違い

ブログ

米子で占いとカウンセリングをしているゲッターラボの藤原です。

恋愛の相談で「相性」と言うのはよく相談されます。

「最近、出会った人と相性は?」「気になる人がいるけど付き合っても大丈夫だろうか」「彼氏とこの先、やっていけるのか」「結婚する可能性があるけど本当にいいのか?」「旦那といつも喧嘩になる」などなど、いろいろです。

さて、この「相性」ってなんでしょう?

2つの相性

単に「相性」と言っても2つ考え方があるんです。

1つは占星術などで出てくる「相性」。

もう一つはパーソナル心理学での「相性」。

パーソナルん心理学を知っている人は、「パーソナルん心理学も生年月日を使うから占星術の一種では?」と思われるかもしれません。

確かにベースの部分にはあるんですが、根本的に見ているものが違うんです。

占星術では目には見えない「惹かれ合う」というような部分の良し悪しが出てきます。

パーソナル心理学では現実的な行動や価値観、思考、判断などからの「合う」「合わない」って話で、「合う」とか言うよりも「理解しやす」のほうが近いかもしれません。

占星術での相性

ことらは先程書いたように、目には見えない「惹かれ合う」というような部分です。

これは根拠とか理由とかがなく引かれる相手の事なんです。

皆さんもこんな体験ってありません。

特別、話したり趣味が一緒とかではないのに、妙に気なったり親しみを感じたりする相手とか昔から知っているような感覚になる相手。

全てではないんですが、こんな相手が占星術上での組み合わせであるんです。

これ一番強く引き合う組み合わせの相手ってかなり確率が低いんで、めったには出会えませんが出会っちゃうとかなり気になります。

ただ、出会った瞬間に「一目惚れ」とかは起こりにくく、むしろ「合いすぎている」ので最初は逆にピンときません。

でも、何かで話したり行動を一緒にする機会ができると・・・・あれ??ってなります。

以前、お客さんの話であったのは、この組み合わせの相手が仕事で同じ部署に配属されてよく一緒に仕事をする事になったんだそうです。

そうなってからはお互いに気になってしょうがなくなり、仕事以外で会うようにすぐになったのだそうです。

ただ、問題はそのお客さんは当時、別の男性とすでに婚約をしていて結納まで交わし結婚式場の予約もしていたんだそうです。

それでも、その出会った相手が諦められずに、その婚約を破棄して結婚式場に払っていた料金を全額肩代わりしてまでその職場の男性と付き合うことにしたんだそうです。当然ですが、親からも半分、縁を切られた状態になってしまったそうです。

それぐらい、引き合う可能性はあるんです。

これ滅多に起きない理由は、60人に1人しかその組み合わせの相手っていないんですよ。

60人?ってそんなに多くないように感じつかもしれませんが、「付き合う」ですから異性で年齢も近くてしかも独身でってなるとどうしても身近に現れる人でそうなるのはかなり確率が下がります。

そこまで、強く引き合う相手ではなくてももう少し弱いですが、引き合う関係の相手ってのも存在していて、過去の仲の良かった相手(同性の場合もあるので)とか付き合ったり気になった相手とかを生年月日で見る機会があるとそんな相手だったりすることが多いんです。

パーソナル心理学での相性

こちらは、「行動」や「言動」などの現実的な部分での相性です。

「理解しやすい」とかでもあったりします。

こちらは、同じ素質のタイプが入っているとかって場合が多いんですね。
ちなみに、全く同じは多くの場合はあまり仲良くないんです。

その理由は、素質が全く同じ場合は論点とか行動が同じで一緒にいて楽ではあるんですが、喧嘩などになると引けない部分やこだわる部分が同じなので解決しなくなったりします。

あとは、多くの人は「自分の嫌いな部分」ってのが有ったりしますが、それも「素質」が原因の事がほとんどなんで、そうするとそれは同じ素質の場合は自分のそうなんです。

これだと、「自分の嫌な部分」を見せられるので気持ちが悪かったり落ち着かないんです。

ただ、全てがそうではなくて特に「受け身」のタイプの素質の組み合わせの場合は仲良しだったりします。

素質による相性の良し悪しは、多くの場合は素質のタイプの違いで相手が理解できない事です。
理解できないんですが、そもそも何が違うのかが素質を知らないとわかりませんら、「何故かうまくいかない」「何故か喧嘩になる」「相手がおかしい」「相手が常識がない」みたいに思ってしまっていつまでも解決しません。

ところが、こう言う素質の違いが大きくて理解が難しい相手と付き合うことがあったりします。

学びの相手

自分の素質と大きく違う相手と付き合ったりすることって実はよくあるんです。

その理由の1つは、大きく素質が違うと自分に無い行動や言動を相手がするので、それが刺激になったり自分にないものに憧れになったりするからです。

これお互いの違いを「素質」がわからなくても、お互いに受け入れているととてもうまくいく相手にもなるんです。自分にない部分の相手は、「補い合える」って関係にもなりますからね。

ただ、多くの場合は「違う」というのが「人と人は違う」と言っても、多くの人の思う「違う」はせいぜい「表面的な価値観」までです。

「私は洋食が好き」

「僕は和食が好き」

こんな違いを「違い」だと思っていて、もっともっと人の根っこの部分での思考や捉え方などは自分と一緒だと多くの人は無意識に思っています。

ところが、パーソナル心理学での「素質」でみると、その根っこの部分から全く違うのです。

するとどうしても、人は自分の素質を基準に「それが正しい」と思ってしまうのは仕方がない部分があります。

そんな時に、いろいろな理由で自分と素質が違う相手と付き合っても最初はいいのですが、だんだんと苦しくなっていくんです。

そして、この自分の素質と大きく違う相手との縁と言うのは、多くの場合は「学びの相手」な事があります。

「学びの」と言うと自己成長をする為に「良い相手」のように思えますが、そうでもなく素質の違いから悩みや苦しみになることの多い相手なんです。

こんな相手は自分の「心」が必要で縁を作ります。

では、自分の心は何を学ばせようとしているのでしょう?

真逆、自分にない

素質の中に完璧な素質など存在しません。

素質からできる「長所」は同時に「短所」も作り出します。
強く偏っている素質は強い「長所」も作り出しますが、同時に強い「短所」も作り出します。

そして全ての要素を持ち合わせてる素質も存在しません

ですの、大なり小なり自分の素質には無い部分や真逆の素質ができてしまいます。

人は、その人の持って生まれた素質通りに生きている状態が、幸せで運の良い状態です。

ですが、それだけでは駄目で持って生まれた素質を100%純粋培養してしまうと、必ず人間関係などに支障が出る人になります。

なので、ほんの1割以下でいいので自分の素質にない部分や反対の部分をできないといけないんです。

それを学ぶに良い方法は、その反対や無い素質を持っていてそれを出している相手と関わることなです。

でも、その反対の相手は往々にして「苦手」か「嫌い」な相手になりやすいので、それでは関わりませんから心は「好き」という感情を作り出すんです。

これそんな相手は最初から「好き」な相手として現れ運ではなくて、最初は知り合いの知り合いとか遠くから現るんですが、それでなかなか学びになるほどの関わりも持ちません。

すると今度は、「仕事の上司」などのある程度強制力のあるところに現れます。

でも、これも「あの部長ムカつくね」と言って「相手が悪い」と学びにならなかったり、会社を転職したりでなかなか学べなかったりになります。

すると、更に身近な「恋人」さらには「結婚相手」で現れるんです。

ところが、「素質が違う」という観点で見れないのでなかなか何が問題かわかりませんし、お互いが「相手がおかしい」と思い続けてしまいます。

よく人間関係などで相談を受ける時に、うまくいかない相手の事を聞くと僕からはその人も「素質通り」に動いているようにしか聞こえないんです。

でも、素質通りだと説明しても「あれは素質がそうだからなんですね!困った人ですね」って返答が返ってきます。

これは今うまくいかないの「素質が違うから起きていること」と言うのはわかったんですが、「お互い様」ではなくて「相手の素質がおかしい」になっているんですよ。

素質に良いも悪いも無いんですよ。
そのうまくいかない相手に同じや近い素質の人に聞けば「別にいかしくないのでは」って言うんです。

よくセッションの時にいいますが、「嫌い」「苦手」は感情なのでそのままでいいけど、「否定」をするといつまでも「反対の相手」が現れるんです。

そこに気が付かないと終わらないんですね。

もう一つの学びの相手

学びの相手にはもう一つのパターンがあります。

それは先程の学びの相手が「自分の反対の相手に気づく」だとしたら、こちらは「自分らしさに気づく」ための学びの相手です。

多くの人は、生きてきた環境で作られた自分が持って生まれた素質とズレてしまっています。

これは必要なことでもあるんです。
途中にも書きましたが、純粋培養でその素質通りに育ってしまうと社会性が低くなって人間関係に支障が出ます。

なので、生きてきた環境で手に入れた自分も必要な部分です。

ところが、日本という社会は「自分を抑える」ことがどこか美徳とされてしまう傾向があるので、本来の素質からくる「自分らしさ」が見えなくなってしまっている人も多くいます。

多くの成功者とか幸せに生きている人を見てきましたが、そんな人はとても「素質通り」に生きているんです。

もちろん、そこに自分には無い部分も少し手に入れて必要な社会性は持っています。

ところが、多くの人は社会性はあっても「自分らしさ」がわからなくなっています。
わかっているように思ってもそれも、生きてきた環境で作られた後天的な部分だったりするんですよ。

すると、心はこれに気がつくために「学びの相手」に縁を作ってしまいます。
そしてこれも、身近にいるほうが「学び」になりやすいので、恋人や結婚相手に現れる事が多いのです。

本来の自分らしさに気がつくための「学びの相手」だと、自己成長できる相手で良さそうにも聞こえますが、この相手は「自分らしさ」を気が付かせるためにそれを邪魔している子供時代にできた劣等感、不安、怒り、嫉妬などの感情を引き出す相手になるんです。

引き出してそれを克服することでそんな邪魔な負の感情の記憶を消そうとするんですね。

ということは、自分にとっては非常に辛く嫌な相手になります。

これも、「学ぶ」になるために身近にいないと行けないので縁を作り最初は「好きな相手」であるように心は仕向けるんです。

そして、結婚などの簡単には離れにくい状況にしてから、「学び」が起き始めるんですね。

これが結婚前は凄く良かったのに結婚したらうまくいかなくなったってやつの原因の1つ。

これを回避する方法は、最初に書いた学びもこちらの学びも独身の時にある程度、気づいていないといけないってことになるんです。

まとめ

こうやって書いていくと、「縁」とか「相性」ってなんでしょうね?

確かに、惹かれたりとか一緒にいて楽とか言動が近いから理解しやすいって相手はいるんですよ。

でも、どうやら多くの人を見ていると「学びの相手」と付き合ったり結婚したりしているんですね。

それを「縁」とか「相性」って思っていたりもします。

こういった表面的な「縁」ではなくて、もっと深いところでのつながりのある「縁」というのもあるんですよ。

もしも、結婚した相手が学びの相手だったら、その学びができていなければ離婚して別の相手を見つけても「繰り返す」だけです。

そして、もしも学びができたなら自然と縁が切れて別の道に進む可能性があります。その時は相手のほうが学びが終わっていないんですね(この学びの相手はどちらから見てもそうなります)

もしも、両方が学びから気づいたらそれはそのまま一緒にいるだと思います。

そうなるとですね~

相性とか縁とかを気にする前に、「自分らしさ」とか「本質的な自分」とか「本当にやりたいこと」みたいなことに目を向けている事が「学びの相手」ではない、本当の意味での縁のある相手を引き寄せるんだと思うんですね。

そしてその時つて「相性」なんて関係なくなってるんですよ。

ゲッターラボでは、恋愛運も見れますし改善策も出せます。「素質」からの相性も見れますし「自分らしさ」に気づくお話もできるので気になる方は一度、セッションとかを受けてみてください。

それではこれで終わります。

コメント